成功者のマインドを学ぶろぐ

自分に磨きをかけたくて、日々色んなことを考え感じています。成功者からたくさんの事を学びたいです。

本を読むな

あるPR会社の社長の話である。

社員には「本を読むな」と言うらしい。通常はたくさんの本を読んで、知見を広げビジネスに活かす事を上司としてはすすめるような気もするが、そうではないみたいだ。

モットーとして"走る前に考える"というマインドが存在するとの事。ようするに、自分が経験もないのに、たくさん本を読んで頭でっかちになっても所詮は他人の知識の受け売りなので、逆に本に読まれてしまう…という事である。経験をしないと本質は見抜けない。そしてその経験がどのような意味があるかがわからないからだ…という事である。

仕事なんかどうでもいいという考え方

ある生命会社の会長の話を聞いた。

どういう考えで仕事に取り組めば良いかという話だった。すると、その会長はこう述べた。

「多くの人は、仕事なんかどうでもいいという考え方をしていないからダメなんですよ。よく考えてみて下さい。1年は365日です。時間に換算すると8760時間です。そのうち仕事に費やす時間は2000時間しかないんです。あとの6760時間は家族や大切な人と過ごしたり、食事したり寝たり遊んだりするプライベートな時間がほとんどなんですよ。だから、この8760:2000という数字が理解出来ていれば、上司に何か言われても、部下が自分な思うように動かなくともそんな事どうでもいいんですよ。人の顔色を伺いながら仕事をしなくてもいいんですよ。もっと数字、ファクト、ロジックだけをみて、自分が正しいと思う判断をすればいいんですよ」

という話だった。勉強になった。

 

常識にとらわれない考え

ある槍投げ選手のマインド

昔日本で、槍投げで幻の世界記録を出した陸上選手がいた。彼は体が小さい日本人が、外国人選手とどうすれば対等に渡り合えるかを考えた。常識的な考えを一切せずに、あらゆる事を疑った。時には「本当は前向きで走るよりも、後ろ向きで走った方が速いのではないか?」とさえ考えて、数ヶ月の間後ろ向きのトレーニングをしたほどだ。

その後、彼は独特のフォームで槍投げ日本記録を樹立し、再計測により幻となってしまったが、世界記録に迫るような記録も叩き出した。現役引退後は、ハンマー投の選手にアドバイスをした事もあったという。

「弟子にして下さい」

ある自民党議員のマインド

 

ある学生から「僕を弟子にして下さい」と申し出があった。そしてその学生は「ウチのお母さんもあなたのところだったらいいって言ってました」と言った。

弟子入り希望はうれしいが、「両親共反対してるけど、ぼくはどうしても弟子になりたいです。お願いします」と言われる方が嬉しい。

次の一手は何をする?

ある脳科学者のマインド

"何かをしよう"と思った時に、何をするか?

たいていの場合は"何となく出来そうな事"や"過去にやった事がある事"をチョイスするかもしれない。しかし"自分には出来るかどうか分からない"、あるいは''出来ないだろう''くらいが実はベストである。

なぜかというと、自分が出来ると思ってなかった事が出来た時に脳内でドパミンが放出される。(中脳:ミドルブレインにドパミンを出す神経細胞がある)。そのドパミン前頭葉に達すると、強化学習というものが起こるのである。

自分には無理だと思う事や、やった事がないことにチャレンジする大事さを学ばされる。

たまに上司にムチャぶりされるのも悪くないかもしれない。

 

情報は速やかに部下に伝える

某リゾート会社社長のマインド

組織において、上層部の意思決定はなるべく早く部下に伝えるようにしているとの事。仮に情報を公開しなくても、何らかの形でいずれは伝わってしまう。自分の口から伝える事が大切であり、リーダーシップをとる上では重要であると言う。

➡︎確かに、組織ではある限られた人間が運営方針や人事など特定の情報を握っているという状況が多い。しかし部下から見れば不安や懐疑心を助長させてしまうため、なるべくオープンにした方がフォロアーシップも期待出来るという事を学んだ。

実践する力

吉田松陰のマインド

1853年、ペリーが黒船に乗って横須賀市浦賀に来航した。年号を覚えるために、語呂合わせでは「ひとはゴザ敷き大慌て」とあるように、当時の日本の民にとっては宇宙人が来たかのような騒動だった。大きな黒船を目の前にし、坂本龍馬(当時19歳)は「日本が変わる!日本を変えなくては!」と思った。

一方、吉田松陰(当時23歳)はなんと小さな船で黒船の近くまで行き、「その船に乗せてくれないか?」と頼んだらしい。当然断られた訳だが、吉田松陰は黒船に乗ってその先に何があるかを見たかったのである。その想いを実際に行動に移すというマインドは、紛れもなく幕末の日本を動かすマインドであったに違いない。この行為にペリー提督は大変驚いて、賞賛したという。

ちなみに吉田松陰はその後、牢獄に入れられる事になる。牢獄から出た松陰は地元に帰って松下村塾を開いた。